2009年05月18日

4/22、建築家協会兵庫会の総会で

松尾由香さんの元気な話を聞きました。

1年7ヶ月かけて、ネパールからインド、パキスタン、マケドニア(コソボ)まで、
延べ13,500kmを自転車で走破した彼女は、とてもかわいい女性でした。
その秘めたるパワーにびっくりしました。
これが、その自転車です。
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2008年02月28日

2/1、井上さんのお誘いで、元町の中華料理「悠苑」でサミット会議?に出席しました。

東京の屋上やドバイ、アブダビ等の砂漠の緑化に力を注いでいる眞崎建次さん
(最近テレビによく出演されている)や、アイルランド人のポールさん
(日本人女性と結婚して京都に住んでいらっしゃる)などと、久しぶりに大いに文化を
語り合いました。

日本とアイルランドは、お互い、ギリシャ・ローマ的なものがあまり及ばない
東と西の最果ての島であること。
生活の中で普通に自然崇拝する民族が残っているのは、日本とアイルランドであること。
森羅万象に魂があり、自然に精神性を認める文明が世界でもう一度見直される時代に
入っているのではないか、などなど・・・・・。

私たちが幼い頃よく口づさんだ「蛍の光」(これはスコットランド)、
「庭の千草」(これはアイルランド)の曲で、ポールさんと一緒にみんなで
メロディーを歌いました。

アイルランドは古くはケルト人で、現在ヨーロッパもケルト文明が見直され、
注目されているらしい。
現代文明を救えるのは・・・今までの代替としての文明は・・・ケルト文明と日本文明かも知れない、
と大いに盛り上がりました。最後にアイリッシュウィスキーで仕上げました。

井上さん、皆様、ほんとうにありがとうございました。


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2007年07月26日

安藤忠雄さんと対談しました

ハーバーランド15周年を記念して、神戸のまちづくりについて対談しました。
1,000人くらいの市民の方々が集まって下さいました。
私の友人たちも、忙しい中駆けつけてくれました。ほんとうにありがとうございました。

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安藤さんからも、面白かったねとお手紙をいただきました。
「神戸ビエンナーレ2007」の成功を期待している、ともありました。

話の内容としては、
□ウォーターフロントのこと
□世界中のクリエイティブな人々が自分の夢を実現できる街をさがしているが、
  それにふさわしいのは神戸ではないか
□スーパーコンピューターによって神戸はシュミレーション科学の世界的な拠点になる
  (特に地球シュミレーター計画において)
□神戸は世界の物流拠点になる
□神戸は世界のクルーズの拠点になる
□神戸はバイオベンチャーの世界的な拠点になる
□緑化と花いっぱいの話と東京の小学校校庭の芝生化を自らはじめたのは、
  実は神戸出身の女性の校長先生(野崎佳子さん)だったこと
□神戸にもデザインサイトのような空間を
□五感のアート、ジャポニズムを大いに楽しむ
  神戸ビエンナーレ2007のこと
□司馬遼太郎さんの神戸をはげます言葉
  「神戸は日本の神戸ではなく、世界の神戸だから、もっと市民的な誇りを!強烈に!」

などなどでした。
ほんとうにありがとうございました。
ラベル:建築
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2007年05月24日

「文学作品、歌謡曲、映画に描かれた神戸大学と卒業生たち」と題して日本エッセイストクラブ会員の植村達男さん(1964年神戸大学経済学部卒)のお話を聞きました。

城山三郎さんの本「鼠」(ねずみ)は、神戸鈴木商店の名誉を回復した経済小説ですが、
その中に、御影に立派なお家を構えていた高畑誠一さん、永井幸太郎さん、
バレーボールでも有名な西川政一さん、朝日新聞に行った久琢磨さん、
鈴木商店の大番頭であった金子直吉宅で書生をしながら、後に哲学者として有名になる
東大教授の金子武蔵さんの家庭教師をつとめる橋本隆正さんなど、
神戸高商(後の神戸大学)の卒業生が実名で多数登場しているそうです。

海がよく見える金子直吉さんの須磨の邸宅の跡地に、私共の設計監理で、
ある方の美しい大邸宅を創らせていただきました。神戸で仕事をさせていただいていると、
こんな歴史のご縁にふれることがあり、ありがたいことです。

八千草薫さんは、神大の南側の高羽小学校で学んでおられたのは知りませんでした。
神戸の人だったのです。

戦後とてもはやった歌に、「港が見える丘」があります。
昭和22年生まれの私もよく知っています。

“ あなたと二人で来た丘は
  港が見える丘
  色あせた桜唯一つ淋しく
  咲いていた  ”

東辰三作詞作曲のブルースで平野愛子が歌っていました。

東京生まれの東辰三さんは本名山上松蔵、神戸高商を大正12年に卒業後、
2年間神戸の貿易会社で働いていました。
当時、神戸高商は神戸港が一望できる中央区の野崎通の小高い丘の上にあったそうです。
校庭には桜も咲いていました。

だのに「港見える丘公園」は横浜の山手町にできてしまいました。
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ほんとうはきっと神戸をイメージして作曲したのではないかと信じたいところですが、
よくわかりません。

とにかく神戸のほうは「港見える丘」公園でもつくりたいものです。
(『が』と『の』の違いに注目して下さい)

石原裕次郎記念館や横溝正史記念館にしても、神戸生まれの人の記念館は
ほとんど他の街にできてしまうのは、神戸があまりこだわらない奥ゆかしい
街だからでしょうか?

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小樽の石原裕次郎記念館   山梨の横溝正史館

植村さん、楽しいお話をどうもありがとうございました。

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2007年05月14日

姫路文学館の玉田克宏さんから味わい深いお話を聞きました。             (日本建築家協会兵庫会年次集会にて)

作家の司馬遼太郎さんは大阪浪波区の生まれですが、おじいさんが姫路の
広畑出身なので、播州を強く意識していたようです。

「このあたりは、姫路市の西郊になる。姫路市というのは、私の手もとの
 昭和初年の資料では人口は六万であった。また戦争で市街のほとんどが
 焼けてしまったし、敗戦の直後は師団などが無くなったせいもあって、
 人口も五万ほどにまで落ちた。
 その後、工業設備が集中していまは四、五十万だというから、短期間に
 とほうもなく膨張した。このために近郊の上地が騰貴して、かつてのどかだった
 田園が、農地なのか、ごみ捨て場なのか、無秩序な宅地なのか、つかみが
 たい景色になっている。
 「ほんのさっき見た竜野の町が、もう夢の中の町のように思えますな」
 と編集部のHさんがいった。」
 (司馬遼太郎「街道をゆく9 播州揖保川・室津みち」)


もうひとつ、

「たとえば、日本の繁華な町の国鉄の駅前は、どこでも汚ない。
 店舗がたがいにどぎつく自己主張しているために、醜悪という美的用語さえ使いにくい。
 石油カンでも叩くように、たがいに色彩と形体の不協和感覚をきそいあって
 いるだけのことである。

 ―中略―

 駅前の土地は、その所有の多くが国鉄であり、他の多くが、商店、会社の
 ものである以上、そこで何か建てられ、何かこわされようとも、所有権所持者の
 自由だと思っている。
 ありようは、そのとおりなのである。土地問題がこのように異常化しなかった
 過去の社会を基礎にして出来ている法体系が、そういう行為が正当であることを
 基準づけている。」
 (司馬遼太郎「土地と日本人」あとがき)


かつて建築家協会での司馬さんの講演をきいた時に、彼が言っていた次の言葉が
思い出されます。
「建築は人を鼓舞するものです。元気を与えるものです。」
私たちはほんとうに心しなければなりません。

また、好きな景色の例として、中国蘇州の古い民家をあげています。

「どの家も、日本でいえば、近世城郭の白亜塗りの櫓のようにぶがあつく、
 中国における他の奢侈建築に見られるようなむだな―力学構造とは無縁の―
 遊びがまったくなく、このためにも造形的に力づよく、小ぶりな力士に
 感じられるような小気味いい重量感がある。
 奢侈建築が補修されずに荒れはてると落魄の感じがあるが、煉瓦壁と
 シックイとせんべいのように薄い屋根瓦でできた蘇州の白い民家は、
 古びればどこか哲学的な味が出てくる。」
 (司馬遼太郎「街道をゆく19 中国・江南のみち」)


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「街道をゆく」は週刊朝日で昭和46年から1,147回続いたそうです。
一度、深く読んでみなければと思っています。

玉田先生、ほんとうにありがとうございました。

ラベル:姫路
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2007年01月31日

橘川先生のお話のつづきです。

「司馬遼太郎と神戸」

日本の生んだ最後の文豪、司馬遼太郎は大震災のあと平成8年に亡くなられました。
(瀬戸本も、2回程司馬さんの講演をきいたことがあります。)

「菜の花の沖」で高田屋嘉兵衛のことを、
「街道をゆく」で神戸のことを書いています。
彼は神戸の坂道が大好きだった。
「風塵抄」では、震災で神戸の市民が尊厳を失ってなかったことや
人々の表情が描かれています。

神戸の人々は、よき時代の物は物として失った。
しかし市民の心は失わなかった。
神戸の人々は芸術を市民社会にどうしてもちこむかを知っている。
このことは神戸だけではないか。
神戸は都市工芸のまちだ。
たぶん居留地にいる外国人を通して、日常気づかないあいだに
自分たちの感覚を磨いてきたのではないか。
神戸市民はもっと神戸を自慢すべきである。
世界の神戸として自慢すべきである。

というようなことが書かれています。

日本で最後の文豪がこんなすばらしいことを言ってくれていたのです。
司馬遼太郎さん、橘川先生ほんとうにありがとうございました。
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2007年01月29日

みなと神戸の文学物語

橘川真一さん(神戸文学館の監修を務められました)から、お話をうかがいました。
原田の森(灘区王子町)にある神戸文学館は明治37年関学のチャペルとして
建てられたもので、神戸最古のレンガ建築です。

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サロンでは神戸を描いた作家たちの作品を自由に閲覧できる
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神戸は古くからその絶景とも言える美しさが描かれました。

万葉集、源氏物語、伊勢物語、平家物語、松尾芭蕉の「笈の小文」などに
各地域がとり上げられています。
俳句という言葉をつくった正岡子規も神戸のことを100ぐらい読んでいます。

横光利一は「家族会議」で神戸のことを描いています。
東川崎町の薬局の子どもとして生まれた横溝正史は若い時、
外国船の船員が読んでいた探偵小説(原語ですが)を古本屋さんで買って
読んでいたそうです。翻訳も20数本しているようで、
これが後、東京へ出て有名な金田一耕助を生む元になりました。
面白い話です。
横溝正史の名前は正しくは「まさし」で、湊川神社におまつりしている
楠木正成の「まさしげ」の「まさし」をとって、お父さんが名前をつけたそうです。
東川崎と湊川神社は近いですものね。

山本周五郎は「須磨寺付近」という短編で有名になり、
神戸の移民センターを舞台とし、自らもブラジルまで行って書いた
「蒼氓」(そうぼう)で石川達三は第1回芥川賞をもらっています。
神戸を描いた「俘虜記」(ふりょき)で大岡昇平は第1回横光利一賞をとりました。

なんだか小説の世界はまるで神戸からはじまっているようです。
それもこれも神戸が他とは比較できないぐらいすばらしかったからに違いありません。
お話は続きますが、橘川先生ありがとうございました。
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2006年11月29日

SRIスポーツ株式会社の社長さんにお話を聞きました

SRIは住友ゴムグループのスポーツ事業を展開する会社です。
長い間ゴルフを楽しんでいますが、ゼクシオ・スリクソン・ハイブリッドが
同じ会社のブランドとは知りませんでした。
ブランド戦略が成功しているとも言えます。

キャロウェイとの契約解消により2000年からゼクシオのクラブが発売されました。
ゼクシオはXXTOと書きますが、XXTはローマ数字の21、つまり21世紀。
Oはgo onのO。
2つ合わせて21世紀へはばたくような意味の新しいブランドネームでした。
これも知りませんでした。
スリクソンは「SRI+X+ON」で同じような意味だそうです。
(SRI=住友ゴム+X=無限の可能性+ON)
日本No1のブランドが今、世界に大きな信頼感を与えているところです。
すばらしいと思いました。

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